赤カボチャ

ハロウィンの赤カボチャリーディングしてみました。

担いでいる棒があります。大きくて重そう。そりゃ、大変だと近寄ってみると

あれれ?

良くみると肩に引っかかっているだけで何か変。
それを持つっているように見せているけど、いや、撫でている?

なんだよ、担いでいるんじゃないじゃない。
担いでいるように見せているだけ?

もう一つ、連れて行こうと私をするけど、何か嘘くさいというか、フリのような気がしてきます。
そうすると見せかけて信じさせようとしているような感じがしてきます。

あ、騙そうとしていたんだ。


同じく生徒さんもやってみました。
イグアナが出て来て、私は着いていきます。嫌な所に連れて行かれました。
気持ち悪いです。

なんで行きたくなったんだろう?と
質問すると風船が出て来ます。その風船を掴まえようとします。
嬉しい気持ちで、始めはいいと思ったのに、その風船は破裂するんです。

これも騙されたですよね。

赤カボチャは騙すというエネルギーです。

なんか赤カボチャ・・・食べれない。
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自己満足

先日ある研修会に出席してきました。

災害カウンセラーの勉強会でした。

本当に今までのカウンセリングではダメなんだというのを実感しつつ、
また、人の話を聞いて、自分も気をつけようと思ったことがありました。

歌は励みになるというお話がありました。お歌のお姉さんの話でした。

ある避難所の体育館での話でした。アンプーの用意をし、マイクに接続して歌を歌い出したと言うんです。
お子さんは集まっていたのですが、選曲がふるさととあと一つ忘れました(^^;)

子供達は遊べると思っていたのに、童謡の鑑賞で、つまらなく、しかもふるさとを流された人達に
「ふるさと」を歌っているわけですから、それは、心が痛むだろうと言うのです。
そしてお年寄りもいて、病気で寝込んでいる人も居る中、マイクを使ったのはまずいと思った
と、講師が言います。

一人減り二人減り、最後には二人の老夫婦だけしか、手を叩いていませんでしたと言うんです。

アンプーに接続している時に、教えればいいことではないでしょうかね?

そう思ったら、どうして止めさせなかったんだろう?何の歌を歌うのかも打ち合わせするだろうに。

そんな風に思った事件が何度も出てきました。各自注意しましょうというお話なんだと思いますが、
その時、そう思ったら、一言言えばいいのに。

カウンセラーの仕事って余計な事を言わないがそういうところにも徹底してしまうのかしら?
自分も話をするとき、気をつけようと思いました。

面白いとか、素晴らしい話をしているとか、魅力的だと思う講義だとしても、
矛盾的な話をしただけで、全てを台無しにしてしまうんだと感じました。

人間性なんですね。講演も講習も・・・魅力的な話、立派な話というより、何か人として
矛盾を感じたとき、立派な事を話していても、共感出来ない気持ちになります。

言っている事、やっている事が一貫している人って、人から怖がられようが、嫌われようが、
そんなことより、言わなきゃならないができる人です。

言わない方がいいと「嫌われない」人を演じているのではないかと勘ぐられ、本当の優しさを
持って居ない人がカウンセリングという仕事が出来るのだろうかと考えてしまった・・・

私の方がひねくれているのだろうか?

被災地に向かって頑張ってきた人の方が仕事としても立派なんだけど・・・

自分も気をつけよう。人間性を疑うような事をしないように。カウンセラーって優しいじゃ
勤まるような仕事じゃないです。

絶対に流されてしまう人が出来る仕事では無いからです。不安がったり、どうしようと揺れて悩む人に
揺れている人の話を聞く仕事ができるか考えても解りますよね?

しっかりさせる側のカウンセラーが揺れる人であってはいけないのです。

悩みを持って居る人は揺らぐ人に聴いて貰いたいんではないんですね。いっしょに揺らいでほしい
訳じゃありません。

解らなくなっているから、それこそ、軸がしっかりしている人に寄りかかるかのように頼っているんです。
嫌われたらどうしようという衝動にかられたらいけない・・・。

支えられる人は、太い軸をもっていないとならない訳ですから強くないと共倒れになっちゃう。
優しい人って強いんです。
強いから優しく出来るんです。

弱い人の優しさは、どこか、「自分を守る」優しさなんです。
とても優しく見える優しさなんです。

と書いている最中、ローズマリーの匂いがしてきました(^^)
堅い 覚悟という匂いですね。


優しさでいえば、被災者の人に「頑張ってね」「元気出して」なんとか励ましたいと
いても立ってもいられなくなりますね。

でも、私は思うんです。本当の優しさがある人って何も言えないんじゃないかって。
どんなに言葉を並べても、何か上辺だけで、本当の心に響かないことを知っている・・。
だから、その苦しさが痛いほど解るから、胸がつかえて言えないんです。

頑張る人に頑張ってと言わない。
元気に見せて頑張っている人に、元気出してねなんて言えないんですよ。

優しい人ってその気持ちも理解出来る人ではないでしょうか?
一見矛盾している沈黙の人の心の内って冷たいんじゃなくて、優しいから言えないんです。

冷たい人となじられても、いわなでしょうね。

言ったら失礼になるんじゃないかと心が痛むからじゃないでしょうかね?

社交辞令で言ってしまいがちな言葉ですが、言ってよい場合と悪い場合があるように思います。

寄り添うというカウンセリング

明治大学の教授諸富先生のランスパーソナル心理学があります。
先生のカウンセリングの方法で、クライアントと寄り添うカウンセリングを説いています。

この先生の言わんとしている事は分かるのですが、多分、勘違いされるだろうなと思います。
この勘違いとは、

クライアントが気づくまで待つという部分なのですが、心のコアの部分なので、沈黙があれば
たどり着くのではなくて、こちらがスピリチュアルな態度どなければ、ここには行き着けないんですよ。

だけど、誰でも沈黙があれば、たどり着くような錯覚になりますが、やれば解ります。
そんなことなら、誰とでも相談すれば、そのコアの所にいく事ができる話になります。
実際はできません。

話が煮詰まって「ん・・・・・・」と唸っているのと、
コアにたどり着いて「ん・・・・・・」と唸っているのとでは雲泥の差であり、
その部分にたどり着くまで、ただ側にいればいいなんて事では出来ないからです。

もっと深層的な魂レベルにいくには、こちら側が、魂レベルに誘導しないとならないんです。

それは、簡単な事ではなくて、そのレベルへの足がかりを持っていかない限りそこには行き着けないんですよ。

ということは、カウンセラーがコアの部分に気づいていて、誘導出来る位のテクニックが必要になります。

本人が気づくというのは、時間がかかります。
表層な部分に囚われて悩んでいるわけですから、そこを魂レベルまでのコアに引き下げるには、
こちらも同時に魂レベルに入っていないと出来ないからです。

それが出来ない人に寄り添って導くなんて出来るわけが無いんですよ。

ただ、黙って沈黙で・・・そんなこと、とっくに一人で悩んで、自分の時間を作って沈黙しています。

散々やって、でも、コアにたどり着けないから悩んでいるんです。


カウンセラーが魂レベルまで、たどり着けない人がこのテクニックを使えるとは到底思えないです。

このスクールは、その魂レベルのカウンセリングを行えるように指導しています。

不確かなもの

不確かなものを確かなものにする。そんなことをどうやって。

今、1番にそれを考えています。
そのために宗教だとか、怪しいとか、占いだとか、霊感だと言われてしまいます。

体験してもらうと違いは分かって貰えるのですが、
その前に胡散臭いと思われてしまう。

今まではそう思いたい人はそう思ってくれでした。
いいんだよ。解る人だけが解れば。

でも、解決には至っていなかった。今は確かなものがあるのに、証明が出来ないという
気持ちです。

実態がないから。それだけの事なのに。

偶像化するものがないんですよ。
だから、そこに頼るのは弱さではないかとなってしまう。


いやいや、私はそんな気持ちでリーディングが出来るようになったんではない。
どうして、出来るようになったんだろう?

感じる

心を感じる。宇宙を感じるそんなイメージだ。
でも、不確かなもの、直感の不確かなものと何も変わらない。
何だろう。

もしかして、確かなものって唯一自分の心なのかもしれない。
この心が「自分が思う」これだけは誰も疑わない。

人を好きになるのも、嫌いになるのも幸せを感じるのも自分。

不確かなものを疑うのも自分。不確かなものを感じるのも自分。
感じたから信じている。

それは、誰かの強制ではなくて、感じた人にしか解らない。確かなもの。
感じて居ない人には、人からの影響。

私は感じて欲しいんだ。人から影響されるのではなくて、自分で不確かなものを
確かなもがあると確かめて欲しいんだ。

宗教はバイブルで、導きがあり、確かなものとしています。だから、体感がなくても、信心ができる。
素晴らしい教えをしている、その導きに従えば、自分は間違わないとなる。

占いや霊感はしている本人の力?が重要になります。授かった感がある。

リーディングは?自分で感じる。自分で理解する。自分で解釈する。

そこには、不動というものが存在することをリーディング出来る人は知っている。
だから凄い人じゃないことも知っている。

その存在を感じているから、聞き耳をたてて、集中をする。それだけの事しかしていないのに。

どうしたら、不確かなものを確かなものに出来るんだろう?

普通と違うカウンセリング

初期の私のカウンセリングはリーディングで見えた事をそのまま伝えているだけでした。
カウンセリングとは違いますね。

ただ、そのままなだけですから。

そのあと、言ってはいけない、言わなければならないそんな区別を付けながら客観的なカウンセリングを
していました。

そして、最近は、知識も入れないといけないと思い、臨床的な区別も付け、聞いてご自身の認識も含め
体調といった全体を見ながらカウンセリングをしていくようになりました。

そして特に最近思う事があります。

カウンセリングをしていると、やはりクライアントの思い込みという事が壁になります。
と、申しますのも、クライアントの感じた憶測をお話していると思います。
最初は「多分」が、時間の経過とともに「絶対」という思い込みが入ります。

伺っていいても、客観視していないという事実があります。

その事実を聞いていると本人の意識以外に導き出す事が出来ないという事でした。

リーディングを使うと、本人の意識から出られるので、後ろの事、見えない事実が、
そうか、そういうことかと言うことが解ります。


本日もカウンセリングでお子さんが部活のコーチに酷い事を言われて、学校に
行きたくない、部活を辞めるという事を言われて、ショックのお母さんからのご依頼でした。

お子さんの傷は深いだろうと思います。
「キモイからあっちへいけ」と言われた「あんなやつ、いらねー」と自分の事を言っているのを聞いた。


貴方なら、どうやってカウンセリングをしていきますか?

お子さんと直接お話していないので、指導はお母さんになります。
まずは、事実関係ですよね。本当にコーチがこの言葉を使ったのかです。
少なくとも心の傷を負った被害者がいるというのは分かると思いますが、臨床では被害妄想という
ものがある以上、ここの区別を付けなければなりません。

そして、どこまで親御さんがお子さんとのコミュニケーションをしているのか、
学校との関係はどうなのか、客観的に話を伺う必要が出て来ます。

大抵の人は話合いなさいという事を薦めていくような気がします。

私はリーディングをこういう時にこそ役に立つと思います。
コーチの気持ちが読めるからです。

リーディングしていくと、
冗談だよ、冗談。そんなに深刻な話じゃ無いよ。と言ってきます。

部活終了、帰りに行きすぎていった息子さんが戻ってコーチに
「失礼します」と挨拶します。すると
「おいおい、挨拶忘れて通り過ぎたのに戻ってまで、わざとらしく挨拶するな。
そういうのが、きもいんだよ。はやくいけ。」

書いていると本当に酷い事を言うと思うでしょうか。別に肩を持つわけではありません。
そういう事をポロッと出てしまう人なんです。お子さん自身人間そのものを嫌っているのではなくて、

「いいから、いいから、面倒なことするな、さっさと帰れ、いいこぶるな」

そんな感じなんです。なんというか、同じ事をしたら、誰にでも同じような感情が起こる人です。

「あんなやつ、いらねー」も事実です。

「片付け見ていても、どんくせいな。あんな要領の悪いやつ、つかえねー。あんな奴、いらねー」

という感じです。

それも、一つ一つ丁寧に片付けているから時間がかかっています。コーチはとっとと片付けて
次の事をしたいのにと待っています。それで、待っていながらあんな事を口走ってしまうのです。

早い話が、イライラする人なので、その時に悪気もなく言っているんです。

この辺りが解ってくると、知らない時の酷い人だと思う気持ちがかなり和らいでくると思います。
私がリーディングした結果なので、100%の事実とは言えないですが、辻褄が合えば恐らく
信じやすくなっているのではないでしょうか?

カウンセリングもコーチへの誤解ではなくて、こういうコーチだと解った上で、息子さんに
どう指導したらいいのかという話に変わっていきます。

一度このことをお子さんにお話してみて、納得ができたら、彼の気持ちもかなり変わると思います。
リーディングが出来ると思い込みから外れたカウンセリングが出来る様になるのです。

トマト

昔はトマトが食べられませんでした。

今ではトマト料理も結構やるので、美味しく食べています。

そのトマトをリーディングしました。

息を吹きかけてきます。水鉄砲が見えてまた、ビュッビュッと飛ばします。

何が言いたいんだろうと、見ていると、今度は、まきとりがはっきりしてきます。

何か押し出している。口から押し出しているビジョンです。一防的な押しつけです。
言葉や自分の感情を押しつけてくる。一瞬引くんですが、また押し出す。

負けず嫌いなのかな?自分の方が上なんですね(^^)

メキシコ人はトマトをよく食べるそうです。
彼らも、グイグイ来るそうですね(^^)

茄子

茄子
ブーっと膨らますものが見えて来ます。風船を膨らますような。

そしてその中は?と見ていくと芋虫が飛び出してきました。

嫌な気分のものをはき出す作用があるんですよね。
ストレス貯めない為には良いのかもしれませんが、
あんまり食べると友達無くしそう(^^;)

でも、そのビジョンをみていたら、茄子の形って風船が膨らむ途中の形に
似ていますよね?

紫の濃いのも、良いエネルギーではないのですが、
こういう色をみると、好んで使用している人は確かに悪口好きかも・・・。
なんて思ったりして。

ストレス無いんだろうね・・・

茄子は身体を冷やす作用があるので、夏は食べたい食物です。
余り取りすぎなければ、饒舌という意味にとらえて、ストレスを無くしましょう。

リーディング大会

知り合いばかりなので、リラックスしてリーディングが出来たようです。

自分のリーディングと他人のリーディング、そして、複雑な相談の場合のリーディングの仕方
そんな話題で終わりました。

一人気分が悪くなってリーディングに集中できない人がいらっしゃいました。
受信機になっている人です。

かつて大阪講演の時。気持ち悪くなるスタッフがいました。
全く同じです。

魔に染まった生き霊のエネルギーが送られていたんです。

症状は同じ、必ず気持ち悪くなるんです。
具合が悪くなるんです。

お話していてまたか・・・でした。

本人の状態もリーディングするとフワーフワーって覆い被さるものを感じているんですが、
何か解らないんですとお話していました。

跳ね返す力を持って欲しいのですが、受信機の方は、気にしていないのになるんですよ。

私は受信機低いんだろうな~と真面目に思います。

でも、漸くこういう時はどうしたら気持ち悪くなるのが治るのか解りました。

優しそうな人とか、話を聞いてくれそうな人が標的です。言い訳がしたいから
それをしてくれそうな人を選びます。そして自分のしたいことをしようとします。

だから、その言い訳をしたいんだから、言わせて帰って貰う。
他人の口を借りて言わせようとしているのです。味方がほしいんですね。

そして、具合悪いのもスッキリ治ります。

だけど、こんな事すると、その話題になり、言わなくてもよい話しになりますしね。

執着しない方がいいのにと思います。必ず本人にそのエネルギーは返ります。

生き霊は人の形をしたエネルギー体です。
自分に変わってそのエネルギー体が肉体を離れてやっているんです。

やり終わったら自分に返ります。悪いエネルギーであれば、あるほど、
病気になったり、怪我をしたりと苦しい事になるんです。

執着しないことですね。何事も。

御本人も帰りは頭がはっきりしてきましたで、爽やかな表情になり、本当に良かったです。
電車の中で、「頭がすっきりして、治りました。嘘のようです」とありがたいお言葉でした。

お金にならないことはしない人

最近人を観察して感じる事があります。
凄くドライな人がいると・・・

お金にならない事をこんなにした。あなたの為にここまでした。
仕事にこんなにお金使っちゃった。自己判断でやったことですよね?
言いふらすことですかね?自慢することですかね?

は~?何の話?と思います。

秤に掛けているんですよね。メリット、デメリットで、損得を計って、
お金にならないのに、こんなに尽くしたと恩着せがましくしてしまう。

本当の愛がある人は天秤に掛けません。

自分の損得で、こんなにしたのに、こんな事言う。お金にもならない事を
こんなにしたのに、解ってくれない、認めてくれない。

言い換えれば、勝手にやったことでも、見返りを求めるんですよね。
会社の為かと思ったら、良く思われたい自分の為だったのかです。

こんな下等な話に流されて、そうね、酷いね、可哀想に。と会話が成り立つ人達。
私にはなんで、乗せられるのかが全く解らない。

中学生じゃないんだから、やった、やらないで、恩着せがましくして、
見返りが無いから文句言って、味方になる人を捜す人達がいる。信じられないレベルです。

そして、そういう人は、自分の失敗は、忘却か人のせいだにするんですよね。

そういうことを言う人は「自分が出来ないから言い訳しているんだ」
の証明しているのに・・・と考えています。

チームの仕事は連帯ですし。
著作権にしても、会社がもつものです、だけど、内々ででしょうかね?
個人プレーを自慢する人がいる。本当に何の意味でそうしているかがわかりません?

あと、あの人が言ったから・・・よくあるバターンですよね。他人のせい。
これ貰っちゃえば・・・
あの人が言ったから貰いました。

そして、何かあれば、他人の指図のせいにして、自分は命令を聞いただけという。
自分で判断する力もないのか?ですよ。


私は、同情を買うような事を発言する人を凄く警戒しています。
嘘つきだからです。嘘が平気だから。絶対自分のデメリットは言わないです。

いや、反対に嘘でも被害者になり、嘘でもいい事をやったといいます。都合悪ければ、
嘘でも、知らないと言い通す。


悪口の標的にされた方は、いい迷惑ですよね。全く関係無かったりするんですから。

それで、信用して、踊らされている人も大した事ないんだと私は思います。
見抜ける力が無いからです。良く聞いていれば、そんな言い訳通用しないと解るのに、
共感するんですから、同じレベルですよ。

「知らないから信じちゃう。」

これも同じレベルの言い訳がましい人の口ぶりですよね。
同等レベルだわ。
それで共感するなら、そんな仕事しかしていない人だと思います。すみません。


「やらされた、させられた・・・あの人だけ楽をしているのよ。私ばかり仕事してる。お金にならないのに。
やる気なくすわよ。ばかばかしくてやってられない」
そんな事言う人を決して信じてはいけないと私は思います。

そういうことを言う人の仕事は酷いものです。絶対他人のせいですから。全てが他人のせい。
出来ない事もやらないことも、全て他人のせいなんです。

自分はやっていると言っている人程、評価されないから、自分から言っているんです。
凄くよくわかりやすいもんですよ。

そんな事知らないでしょうね。知らないから言ったもん勝ちなんですよね。



だから、そんな人達と同じレベルになる必要はありません。言いたい人は言えばいい。
仕事が本当に出来るかを見てやって下さい。

それじゃ、会社もそういう対応するわな~と思うはずです。


もしも、自分が噂で悪口言われていても、自分が間違っていなければ、必ず、結果が付いてきます。

聞いた方の人達が、最初は悪口を信じても、時間とともに、認められることちゃんとしてるよ。と
解ってくるんです。

言われたから、悪口言われたから、辞める。やらない。あの人嫌い。その理由が出来ない事への逃げなんですよ。

そんなんで逃げるから、ほらね・・・となってしまう。

そうではなくて、言いたければ言えばいい、私は間違っていない、そんな悪口の通りの人間ではない。
という、証明を態度で黙って示せば良いんです。

それは、時間がかかるかもしれません。直ぐには解って貰えないかもしれません。
でも、神様は見ているし、解る人は解る。
見抜く人は見抜きます。

その人と付き合えば良いんです。わかって貰おうともがく必要もありません。

会社でも、学校でも、逃げ場所が必要だとよく言いますよね。
逃げ場所は自分の気持ちなんですよ。

今の主流の指導に疑問を感じています。会社休みなさい、学校休みなさい。
乗り越える為の指導じゃなくて、逃げなさいという指導だからです。

嫌だからじゃなくて、嫌だからやるんです。出来るということを見つけてほんの少しでいいから。
逃げたら、時間ばかりが過ぎてしまう。出来る事は何かを見つけて欲しい。

そうすれば、結果は必ず付いてきます。
誰かがそれを見て、周りに話してくれます。噂通りの人じゃなかったと。

「出来ないを言う人」がとやかく正当化を言っても、見抜く人は見ています。
そんな人を信用しなくなるんです。可哀想の上辺の付き合いになるんです。

それは、心の奥では、誰でも「出来る」ようになりたいからです。
傷の舐め合いしたいわけではないんですよ。

自分は誤解で悪口いわれていると思うなら、そんな酷い事をする人間ではないと、態度で示すことす。

それだけで、結果は変わります。慌てて修復しようとする必要はないんですよ。
プロフィール

管理人:はすな

Author:管理人:はすな
誰かに助けて貰う為にこのスクールを求めて欲しくないんです。
自分で立ち上がる勇気にして欲しいです。

もっと心を知るのに知識が必要だと思う方、
この次元以外の部分からも理解したいと思う方、
両方を取り入れたスクールです。

❤❤❤http://try-cs.jp/ ❤❤❤

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