スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

生徒と先生のギャップ

生徒さんを募集している時、自分から「やりたい」と思う人は、自分で決心して、自分から歩み寄ってきます。

性格なのかもしれませんが、歩み寄ってきてくれないと私にも伝わらない。

学校のすべてがそうです。
先生が生徒の気持ちを理解しようとしている先生は依怙贔屓しません。

特別扱いはしないというのが依怙贔屓しないというのです。

依怙贔屓をする先生は先生から近寄っていく人のことです。

私自身はどうだろう?

自分で生徒さん皆さんを同等にしているのか疑問になることがあります。
特別にしないと付いてきてくれないと勘違いしているのかもしれません。

いや、特別にするから、〇〇をしてほしいと思っているのかもしれません。

特別にしていると思う時、「感謝」のつもりだったけど、それは「頑張っている人に良い先生」と思われたくてしているのかもしれないと考えさせられます。

「どう?やってみようよ」と私がいう時が、その瞬間なのかもしれない。

やりたい人は自ら近寄ってきます。そんなお声がかからなくても、近寄ってきます。

そういう人の姿勢を私が見ぬいて、大切な授業を教えていかないといけない。
私から「やってみない?」と声を掛ける事は辞めたい。

その時フッと相手の気持ちが入ってくる時がある。

「先生が特別にしてくれるなら、やってもいいかな?」という声です。
勿論全員から入ってきた訳ではありません。約一名でした。

だから、少しのことが耐えられない。つまらないと思ったら、やりたくない。
できるようになりたいのではなくて、特別に扱ってほしかったという事になる。

「こんなにしてくれる」が見えた時、続けようかな~となる。
「こんな扱いされてる」と思った時、「不満になる。お金払っているのに?」という気持ちになるのかもしれない。

だから、人の為を考えることができず、自分にどれだけ特別にしてくれるかで人を計って居ることに気づけない。

委ねるいうと聞こえはいいが、「決めてください」という気持ちからなので、自分では「どう行動したらいいのか」の決定が生まれてこない。
その基準は「こんなにしてくれる。こんなに特別にしてくれる」の基準で、私を特別にしますか?と委ねているのです。

だから、「大丈夫、やれる。それは私が特別にしてあげるから、必ず大丈夫」というお墨付きをいただきたいからではないだろうか。

最近ヘトヘトなのはここの部分にエネルギーが行ってしまっていたから。
特別にしないといけないという気持ちが自分で苦しんでいたように思います。

もしそうなら、「自分から頑張りたいです」の人に教えたい。時間を割きたい。

そうでない人は「なーんだ」となると思います。私も「なーんだ」と思うだけ。

頭の整理ができてきました。

からだの声翻訳家®は自分のためになったら、もっと他にきっとその情報を知りたい人がいる。
その人をあぶりだし、探して伝えていきたい。そう思った人だけが残ればいいと思います。
スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

プロフィール

管理人:織愛

Author:管理人:織愛
誰かに助けて貰う為にこのスクールを求めて欲しくないんです。
自分で立ち上がる勇気にして欲しいです。

もっと心を知るのに知識が必要だと思う方、
この次元以外の部分からも理解したいと思う方、
両方を取り入れたスクールです。

❤❤❤http://try-cs.jp/ ❤❤❤

蝶が舞うリースの時計
月別アーカイブ
カテゴリ
最新コメント
アクセスランキング
[ジャンルランキング]
心と身体
3151位
アクセスランキングを見る>>

[サブジャンルランキング]
メンタルヘルス
504位
アクセスランキングを見る>>
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。